コラム
Column

2018.03.26 Mon

【第5週】遠い国での1年間 – 僕のドイツ交換留学

バンクナンバー

【第1週】はじめに/きっかけと行き先の決定/準備
【第2週】OSK/Magdeburg
【第3週】学校/親友、Amin
【第4週】スポーツクラブとマラソン大会/怪我/旅行等

11.Freie Schule

1月、Freie Schule での実習最後の日
 1月に行なった、10年生必修の3週間の社会実習も忘れられません。場所の選択は自由なのですが、僕は色々悩んで調べた末に結局、市内の私立小学校“Freie Schule Magdeburg(フライエ・シューレ)”で実習をしました。英語にすれば“Free School”です。その名のとおり、子供たち(1年生から4年生)が自由に自主的に勉強していくことを目指す小学校で、日本人の普通に考える「小学校」とはかけ離れたものでした。いわゆる「授業」は一切行われず、机が1方向に並んでいる部屋さえありません。子供達は自分たちで1週間の計画を立て、ほとんどの時間は自習しています。僕はそんな子供達に算数を教えたり、下手くそながら折り紙や書道教室(苦笑)を開いたりして、楽しく3週間を過ごしました。実習期間の終わりには絵本「モチモチの木」を僕がドイツ語に訳してプレゼントしました。まだ1年間の中盤でしたから僕のドイツ語力も今より低く、おまけに子供たちは僕が普段話す高校生や大人とは違います。「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく」伝えることの大切さ、楽しさ、そして難しさを痛感しました。
 Freie Schuleの授業風景を見たら大抵の日本人は心配するでしょう。「自由すぎて躾けられない」とか、「子供が勉強しないだろう」といったふうに。実際にFreie Schuleを見れば、いかに子供達が自主的に学ぼうとするか分かるはずです。なかには立てた計画を早く進めて余裕のある子もいましたし、逆に落ち着きがなく集中できない子もいました。しかしそんな時にもベテランの先生方はすごくて、行きすぎたことはやめさせながらどの子供のことも尊重し、怖がられるような怒り方は決してしません。また、逆に機械的に「躾け」をすればその子らにも社会的にも明るい未来があるのか、と考えるとそうでもないように思えます。そうせざるを得ないとしたら、ひとりひとりの子供を真剣に見つめるだけの余力がないのかもしれません。
Großmenowで釣りの後、Jörgと
 これを読んでくださる方の中にも、小学校4年生の頃には塾に通っていた人も多いでしょう。日本なら同じ年頃の子供たちの一部はすでに試験回答のための機械的な訓練を受けているのに対し、Freie Schuleで僕の持った最初の印象は「子供たちが子供らしくしている」ということでした。こういった点において、ヨーロッパは日本とは全く違います。Domgymnasiumにも受験制度はなく、体育の授業は男女混合でした。どちらが良い悪いではなく、両者を比べれば日本の男子体育は多くの場合、競技スポーツ的です。
 また、Freie Schuleにはいわゆる障害をもった子供も何人か通っていました。特に印象的な出来事があります。ある日、昼休みにみんなで雪合戦をして遊んでいたら、車椅子に乗っていて指の動きも少し不自由な3年生の男の子が「僕もやりたいけど、できないや」と、とても残念そうにつぶやきました。そうしたら別の男の子が「そんなことない!できるよ!」と叫び雪玉を握って彼に渡しました。そしてその子がニコニコして雪玉を投げると、一度止まっていた雪合戦はその瞬間に再開し、車椅子の彼も他の子供たちも、とても楽しそうに遊び始めました。僕が頭で考えて当たり障りのない言葉を選んでごまかすのと比べて、なんて優しくて力強い行動でしょう。ガーンと打たれたように感じました。

12.言語

 留学、特に非英語圏への派遣となると言語の心配は大きいものです。何度も言うように僕の英語はひどいもので、出発時のドイツ語はそれよりさらにずっとひどいものでした。しかし、中間期そして帰国直前と時間が経つにつれて、他の大抵のYFU留学生にはドイツ語力で劣っていると感じなくなりました。コミュニケーションのドイツ語に関してはそれなりの自信がつきました。
 言語はコミュニケーションの目的ではなくひとつの手段です。だから心を開いて人と接していれば、そこにコミュニケーションが起こり、言語ももちろん使われます。僕はホストファミリーなど人と色々の話をしたことで、語学力や、簡単な言葉でもできるだけ正しく伝える表現力が伸びたと思っています。問題集を解くような勉強も続けましたが、やっぱり言葉は相手の伝えたいことを受け取り、そして自分を伝えるための手段ですから、中身のあるコミュニケーションをする方が人間的な力になっていくのだと思います。会話とは違いますが、読書もまた生きた言葉の勉強ではないでしょうか。
 YFUの地区委員さんは「言語は伝える手段です。もちろんとても大切でできるに越したことはないのだけれど、実はもっと大切なのは、伝える内容を持っていることと伝えたいという意思のあることです」とおっしゃっていました。そういう意味で、留学前に取り組んでいた活動は全て役に立ちました。海から富士山頂まで友達と歩いたとか、合宿に西瓜を背負って行ったとか言うと、余程の馬鹿と思われるでしょうが、そんな経験だって伝える内容になるはずです。馬鹿なことをすればいいというのではありませんが、色々な活動に真剣に取り組む事で「伝える内容」が持てると思います。だとしたら、留学に必要なのは高い成績や語学力だけでは決してないでしょう。僕の場合は、こんなことを留学の前から考えてはいましたが、自分に対して証拠や裏付けを持っていませんでしたから、不安にもなりました。しかし今ではドイツでの1年間を通じてそれを自分自信に対して証明できたと感じていて、一見まわり道のような活動をすることにも、自信や確信が持てるようになりました。
4月、ハイキング中のHelgardとAmin
 気楽なことを書きましたが、特に始めのうちは、非常に苦労して必死で勉強したのも事実です。始めのうちは誰だって絶望的に何も理解できないのですから、そのさっぱりわからない音や文字に極度の集中を傾ける努力が必要です。そうして全身で緊張・集中して生活していれば、いくら寝ても足りないほど疲れるかわりに、人間の学ぶ能力に自分でも驚くほど確実に吸収し理解できるようになっていきます。しかしこの緊張と集中を保つことが本当に難しいのです。わからない授業には勝負のつもりで臨まなければなりませんし、幾何模様にさえ思えて拒絶したくなる文字列を、音を確かめながら追い続ける忍耐力が必要です。僕も、最初の頃は鬼のような気迫で授業を受けていたと自覚しており(笑)、それがすべての土台になりました。しかし留学期間の後半になると、言語学習も変化します。以前ほど緊張しなくても理解できるようになり、リラックスして落ち着いたコミュニケーションが取れるようになります。しかしだからと言って言語学習が停止してしまうのではなく、最後の1週間まで確実に言語力は伸び続けますから、集中を途切れさせてしまわないことは依然として大事です。僕は後半になってからの授業中の自分の姿勢について、緊張感と必死さが少し足りなかったと反省しています。
 帰国後12月に受けたゲーテ・インスティトゥートのドイツ語試験ではなんとかB2というレベルに合格することができましたが、理解できないことはまだまだ多く、そして僕はドイツ語にすっかり惚れ込んでしまったので、今後も勉強していくつもりでいます。B2と言っても、例えば映画を観ても(もちろん作品によりますが)ギリギリで何とかついて行ける程度です。テレビの娯楽番組程度なら問題ないですが、ラジオの政治番組などの少し難しい話になるとついていけません。まだまだ勉強中です。

>次号へ続く(4月2日の掲載を予定しています。)

本連載はYFU第59期(2017年帰国)ドイツ派遣 佐原慈大さん が、帰国後に自身の体験を綴った体験記を纏めたものです。無許可での転載を禁止します。